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交響曲第7番 (團伊玖磨) : ミニ英和和英辞書
交響曲第7番 (團伊玖磨)[こうきょうきょくだい7ばん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

交響 : [こうきょう]
 (n,vs) reverberation
交響曲 : [こうきょうきょく]
 【名詞】 1. symphony 
: [ひびき]
  1. (io) (n) echo 2. sound 3. reverberation 4. noise 
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [ばん]
 【名詞】 1. (1) watch 2. guard 3. lookout 4. (2) bout, match (sumo) 5. (3) (one's) turn
: [きゅう]
 (n) nine (used in legal documents)

交響曲第7番 (團伊玖磨) ( リダイレクト:團伊玖磨#交響曲 ) : ウィキペディア日本語版
團伊玖磨[だん いくま]

團 伊玖磨(だん いくま、1924年大正13年)4月7日 - 2001年平成13年)5月17日)は、日本作曲家エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である〔読売新聞死亡記事、2001年5月18日付け〕。作曲家としてはオペラ交響曲歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。「團 伊玖麿」は誤表記。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1924年(大正13年)、実業家、学者、政治家であった男爵團伊能の子として、東京・四谷の慶應病院で生まれ、原宿(現在の渋谷区神宮前)で育った。
7歳となった1931年昭和6年)、青山師範学校附属小学校に入学し、ピアノを学び始めた。翌年3月、祖父・團琢磨が暗殺された(血盟団事件)ことで、幼心に、物質的な栄達への疑問を抱くようになり、後に芸術を志す動機のひとつとなった。当時、團という一字姓のため、しばしば「朝鮮人」「シナ人」と怒鳴られたという(事実、700年前の祖先の團将監は宋人だったと伝えられる)〔團伊玖磨「故郷は東アジアの海と空」(『朝日新聞』1997年1月16日付)〕。
1937年(昭和12年)、13歳の際に青山学院中学部に入学。また、同年には東京市麻布区材木町(現在の港区六本木)に転居した。
1942年(昭和17年)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)作曲部に入学した。学校では下総皖一和声学対位法橋本國彦に近代和声学と管弦楽法細川碧楽式論を学んだ。また、学外では山田耕筰に指導を受けた。
20歳になった1944年(昭和19年)、音楽学校に在籍のまま陸軍戸山学校軍楽隊に入隊した。軍楽隊ではバスドラムを担当し、芥川也寸志とともに編曲も担当した。
翌年には復員して東京音楽学校を卒業し、諸井三郎に対位法、楽曲分析を学んだ。歌曲集『六つの子供の歌』、管弦楽付き独唱曲二つの抒情詩『村の歌』『小諸なる古城のほとり』を作曲した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ikuma Dan 」があります。




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